2011年3月26日土曜日
ドキュメンタリーフォトグラフィー・フィールドトリップ
今日、ナイトクラスをとっているクラスの一つ、ドキュメンタリーフォトグラフィークラスのフィールドトリップがありました。といっても場所はウェリントン。キューバストリートにあるバケツの滝で待ち合わせ。
チューターであるフォトグラファー、ジョン・ウイリアムという人に習っているのですが、去年のフォトグラフィー初心者コースと中級者コースの先生でもありました。そんな彼は現在ウェリントン郊外・ポリルアにあるpataka museum and galleryという美術館で個展(TakeMeToTheRiver)が行われています。私の好きな彼の作品、授業中にも見たことがあるのですが今度週末にでもまた観に行こうかと思います。彼のインタビューはこちら。
みんなでストリートスナップ的なアサイメントを出されていざ出陣!
このクラスが今までで一番難しいクラス。どう写真を取るかというより、EthicTopicについてたくさんのディスカッションが行われるんです。Ethic(道徳的)なトピックは一番苦手。今まで分かっていたと思って実際フォトグラフィーになると避けては通れない道。
パパラッチとフォトグラファーは全く違うのですが、直接な例として死んでいくところを写真に収めることや、介護の様子を写真にとったり、もちろん戦争の写真などもです。
戦争フォトグラファーは、世間に強いメッセージを伝えるために写真を撮り続け、戦争をなくすためなんですが、今日も戦争がなくなることはない現実です。それなのになぜまだまだ戦争写真を撮り続けるのか?
これをどう受け止めるかはそれぞれ個人にとって違うのですが、このことについてどう思うかというディスカッションが毎週トピックを変えては行われるんです。どうやったらいい写真を撮るかとかどうやって写真を撮るかということは授業では行われません。カメラなんて持っていかなくてもいいんです。
来週でドキュメンタリーフォトグラフィーのクラスも終わってしまうのですが、いろいろ考えさせられます。ただ写真をとるだけじゃだめなんだなぁと実感。自分が素敵とか写真に収めたいものを撮ったりすることが多かったのですが、Ethicな事を考えるとかなり悩みます。自分には他人の気持ちを踏みにじってでも写真を撮ることが出来るのか?
介護写真も、身近に感じる人は沢山います。もちろんその写真は本人たちの許可を得てからのものなんですが、心痛い写真。それが義援金や設備向上などにつながるのですが、私に彼らの写真を撮ることが出来るのか?答えはまだ見つかりません。
今日のフィールドトリップのアサイメントは、ストリートスナップということではなかったのですが、公共の場でどう写真を撮るかという「経験」を私たちにして欲しかったようです。フォトグラファーごとにそのテクニックは違い、自分なりのやり方を見つけてもらいたいということのほうが重要であって、「結果」の写真は2の次3の次のようです。
ドキュメンタリーフォトグラフィーの奥が深いなぁと改めて実感しました。ストーリーを伝える撮り方じゃ不十分。
2時間のフォトシュートの後は、メンフィスコーヒーハウスでみんなとコーヒー。どうだった?という感想を話し合います。クライスメイトはみんな男性。やっぱり男性の脳みそは女性と違う運用の仕方なので、彼らに取っては簡単に写真を撮っていたようでした。私はなんだか写真もあまり撮れず考えすぎて満足良く写真は撮ることができませんでした。
みんなと別れた後、何故か駅へ向かった私。ウェリントン駅の補修工事は去年やっと終わって素敵な構えを観ることができます。
中も昔のままかなりのクラシックなデザインと作りのまま。今日は週末だったからそんなに人はいませんでしたが、平日は横切ることができないほどの沢山の人で溢れかえります。
平日のラッシュ時間にまた戻ってこようと思います。
駅の通路でストリートギターを弾いていた親子に出会いました。チャリン♪と残っていた小銭を入れると「ありがとう!」とおじさん。カメラにもポーズを撮ってくれました☆
みなさんの週末も心落ち着いた日でありますように。
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とっても興味深いポストでした。
返信削除ブログをするようになって、写真を撮る機会が格段にふえたし、私も好きで素敵な写真ブログに遊びに行くことが増えたけど「写真としていいもの」が出来る肯定が必ずしも「自分の思う、人としてよいこと」と一致しないこと、とても難しいなぁとおもいます。地震の写真だって、10年、50年で意味がかわってくる。100年後に振り返ってみれば記録写真としてとても大事な写真になるとおもう。でも、今、私が被災者だったらそんなこと考えられないだろうなとも思う。難しいなぁ。
写真コースで、カメラを持ってこなくていいなんて、とても素敵なコースですね。
emi さん
返信削除Photographyコースは、初心者コース以外カメラ必要がないんです。初心者コースでもほぼいらないんです。
DocumentaryPhotographyのTheory的には理解しているつもりなんですが、Practicalな部分では中々脳みそが付いてきません。CHCH地震の話も出ました。日本やUSと比べてNZメディアはコンサバ的部分が強いので、法があるのか知りませんが遺体の写真はメディアに全く載りませんでした。
大げさに言えば、自分の家族の葬式を写真に撮れるか?でもとらないと誰にも伝わらないし、その様子を記録したものは残らない。私のひひ孫は知ることもできない。現代の子供たちが戦争のことを全く知らないことと同じで、歴史や事実を伝えるには写真が必要なんです。
このボーダーラインを乗り越えることができるかできないかでDocumentaryPhotographyをできるかできないかがみえてくるんです。いろんなコト考えすぎてこの3週間ほど悲しい思いになったり頭痛が続いています。(笑)